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コラム 牧師の書斎から

2016年2月7日 小平牧生

最近、ある男性ミュージシャンと女性タレントの不倫騒動がニュースになった。会見ではその関係を否定をしながら、その一方で本人たちが LINEで交わしていた会話が会見内容とは正反対の内容であったことが明らかになり、世間から大きな失笑をかった。また好感度が高かった女性タレントだけに衝撃を受けたファンの人たちも多かったのだろう。(年末から事務所問題やら薬物問題やら次々に続くのはなぜかな。)それにしても、彼らの失ったものの大きさははかりしれないと思う。私たち人間にはどんな人にも隠されている部分がある。ところが、ある人は隠されたことが明らかになって信頼を失うが、反対にある人は隠された善い行いが明らかになって豊かな報いを受ける。この若いタレントたちが、このあまりにも痛い経験によってもっとも大切なことを学んでいって欲しいと祈らされた。私自身も、隠していた偽りがあることがきっかけで明らかになって、本当に恥ずかしい思いをしたことがある。それによって友人と信頼を失った。多かれ少なかれだれにもあることかもしれない。なかには周囲の人々には明らかになっているのにその当事者である本人だけが気がついていないという例もある。しかしそういう痛い経験を通して、聖書が語っているように「隠れているもので明らかにされないものはないこと」を学び、むしろ「隠れた人がらを飾りにしなさい」という教えの大切さを学んでいくことができるなら幸いだ。もし私たちが嘘で飾った人生を送っているなら、ある時には神様はそれを人々の前に明らかにされることがある。それは完全な癒やしのためには痛みのともなう手術が必要な場合と同じだ。それほど神様が私たちを愛しておられるのだ。