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コラム 牧師の書斎から

2016年2月28日 小平牧生

それにしても、私はパウロと同じように語って自分の人生を終えることができるなら、どんなにすばらしいことかと思います。

「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」(2テモテ4:7)

二つのことが問われていると思うのです。一つは、私は「走るべき道のりを走った」だろうか。もう一つは、私は「勇敢に戦った」だろうかという問いです。

たといそれがどんなに良いことでも、自分が歩むべき道とは違う道を歩んでいたならそれはふさわしくありません。他の人の真似をしたり、借り物のような人生をめざしてはならないのです。私が走るべき道を走らなければならないのです。それを「召命」あるいは「召し」と言いますが、神様が示してくださることです。

またもう一つは、私が歩んでいる道が仮に正しい道であっても、あなたがその道を一生懸命に歩んでいるかということです。それは「献身」ということです。なすべきことを知っていても出来ないのが私たちの姿です。力は神様が与えてくださるのです。

私たちは、とりあえず大過なく人生を過ごすために生かされているのではありません。その歩みはそれぞれ異なっていることは言うまでもありませんが、それぞれの召命に対して献身して生きるために救われているのです。

パウロが「神様の恵みによって私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました」と言っている言葉はチャレンジです。私たちももっと自分を磨き、もっと聖書を読み、もっと神様と親しく交わり、もっと内なるものを豊かにし、もっと多くの人から学び、もっと召命に対してチャレンジしたいと思います。人生は一度きりです。生かされている間は使命があり、使命がある間は成長することが求められます。