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コラム 牧師の書斎から

2016年4月17日 澤村信蔵

先週、ある姉妹の家に伺い、交わりの時を持ちました。その方が「私の周りには、本当にいい人ばっかりで、感謝なんです。アパートの人たちもみんないい人だし、近所の人もみんないい人、お医者さんもいい人だし、ヘルパーさんもいい人…」もう自分の周りにはいい人しかいないというのです。周りにい人だけが集まっていて、どこに行ってもいい人にめぐりあうなんて確率的に見たらありえないですよね。でも、その姉妹が、そう感じているのは、事実で嘘やおべんちゃらで言っているのではないようなのです。どこにその原因があるのでしょう。

実は、その原因は、彼女自身になるのだと思います。彼女は、どんな時も、周りの人に良い物を与えておられる。本当にこれでもかというような試練の中を通られていても、いつも周りに感謝し、自分自身も喜んでいて、愛を注いでおられる。そうすると、周りも自然と良いもので返してくれるのです。

人間、誰しも100%善い人も、100%悪い人もいないのです。一人の人の中に両方が混在しているのです。だから、自分に良い物を与えてくれる人の前では、良い人になり、自分に悪い物を与える人には悪い人になってしますのです。とすると、「周りの人が良い人であるのか、それとも悪い人であるのか」それは私たち自身の鏡なのかもしれません。私たちが周りにいつも良い物を与えているならば、周りは良い人ばかりになっていきますし、いつも悪いものを与え続けているならば、周りは自然と悪い人になっていくのです。

鶏が先か、卵が先かの議論になるようにも思いますが、でも、私たちは周りがどうあろうとも、愛を与えていく生き方を、主イエスを通して知り、体験しました。「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(Iヨハネ4章10節)」私たちが主イエスを通して知ったのはこの愛です。神がまず愛してくださったように、私たちも、相手がどうあろうともまず自分の側から愛していきましょう。そうすれば、きっと周りも良い人に変わるのです。