ここからコンテンツ

コラム 牧師の書斎から

2016年6月5日 澤村信蔵

今週、「前」ということで少し考えさせられました。(一番考えさせられたのは、前という人物についてです。彼自身が、過去から決別して、前進していけるようにお祈りください。そんなことを思いながらこのコラムを書いています。)
前という言葉は、辞書によると、「普通の状態で顔または視線の向いている方向。おもて。前方」という意味です。(そんなことを言われなくても当然わかっていますと言われそうですが・・)私たちが進んでいく方向を「前」と呼び、一方過ぎ去ったところを「後ろ」と呼びます。
前、特に前向きとなると、希望、明るさ、積極性など非常に良いイメージがあります。逆に後ろとか、後ろ向きとなると、暗く、消極的で悪いイメージが付きまといます。
でも、これが時間という概念になると、全く違った様相になります。成増教会は、70年前から始まりましたが、何年前、何日前というのは過去、後ろを指し示します。進んでいく方向が前であるはずなのに、過去の出来事は、「前」の出来事なのです。そういう意味で言うならば、私たちは、いつも時間軸に対して、進行方向とは逆を向いて進んでいるのかもしれません。これから起こる出来事については、まったく見ることが出来ません。見ることが出来るのは、過去の出来事ばかりです。少し時が流れる度に、少し違った風景が広がっていきます。そして、未来はどうやっても顔を向けてみることが出来ないのが私たちの歩みです。
でも、過去をどう見るのかということによって、私たちの未来への視線も変わってきます。過去にこだわって、くよくよしてしまうと、明るい未来は永遠にやってこないように感じます。でも、過去の出来事に感謝をささげ、様々な出来事を前向きに受け止めていくならば、それと同じ、もしくはそれ以上の明るい未来が訪れることを期待することが出来ます。私たちは、時間軸に対して、後ろを向いていますので、過去しか見えません。でも、神様は、過去だけでなく、私たちの現在も、そして、未来も見て下さっているのです。神に期待して歩んでいきましょう。