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コラム 牧師の書斎から

2016年10月9日 澤村信蔵

「今泣く者は、幸いです。やがてあなたがたは笑うから」(ルカによる福音書6章21節)とあります。今泣いている人、あるいは苦しくて悲しくて叫ぶように泣いている人にとって、「こんなことを言われても」「ふざけるな」と思う言葉かも知れません。でも、よく読んでみると、ここには今泣いている「者」、そして「あなたがたは」とあります。それは、泣いている人は幸いだと単に言っているというよりも、泣いている人は一人ではないから幸いだと理解できるのではないでしょうか。人が一人で悲しんでいる間は、哀しみは単なる「辛さ」です。でも、ともに泣くそうなると、「辛」さにもう「一」人が加わって「幸い」となるのです。
 そして、共に悲しんでくださるのは誰かというと、それこそがこのみ言葉を語ったイエス様ご自身に他なりません。イエス様自身が居場所なく馬小屋に生まれ、傷ついた人と共に生き、十字架への道を歩みながら、誰よりも傷つき、悲しみ、また愛されたいと願っているからです。そして、イエス様もまた、自身が涙を流すことを通して、悲しむこと、泣くこと、そして思い悩むこと、取り乱すこと、弱音を吐くことが悪いことではないこと、イエス様という友が一緒にいてくれることを、今を生きているわたしたちに伝えてくれるのです。
 今も私はさまざまなことで泣くことがあります。誰かが痛んでいるそのことを知って、悲しくて、悔しくて泣くこともしばしばです。それでも、思いを分かち合ってくれる多くの友との出会いがあり、一緒に泣いていてくださるイエス様との出会いの再発見があるからこそ、私たちは生かされることができるのです。涙を流すとき、必ずイエス様がその思いを聴いていてくださっているのです。だから辛いときは、少しだけ勇気を出して、誰かの前で弱音を吐いてください。泣いてください。時に応じて、思いを分かち合ってくれる人、イエス様との出会いは与えられます。そんな友と出会うとき、あなたもきっと誰かと共に悲しむ人、愛することのできる人になれるのです。今、泣いていてもかならず共に笑えるようになるのです。