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コラム 牧師の書斎から

2016年11月27日 澤村信蔵

今日からアドベント(待降節)です。主の誕生をお祝いするクリスマスに備えて、昨日は、教会の飾りつけも行いました。クリスマスの飾りつけには様々な意味があります。ベルは、救い主の知らせを告げるしるしですし、キャンディー・ケーンは、良き羊飼いであるイエス様を象徴しています。ヒイラギは、椅子様が全ての人の罪を背負い、十字架刑にされた時に被らされた茨の冠とキリストの流した血を赤い実に見立てて飾られるそうです。いろんな飾りがありますが、欠かせないのは、星であり、光です。町に出てみると教会より早く、イルミネーションなどの飾りつけがなされています。幻想的な光は、私たちの心をとらえ、財布のひもも緩むということを計算しているのかもしれません。中には、観光客が訪れる名物となっている場所もあります。
 でも、最初のクリスマスのライトアップは、ネオンや電飾ではありませんでした。それは、「主の栄光」(ルカ2章9節)でした。観光客や、買い物客はそこにはいません。あったのは、飼い葉おけに寝かされたみどり子だけです。そして、そのみどり子こそ、この世のまことの光であり、希望だったのです。最初にその光を見たのは、野原にいた羊飼いたちです。まばゆい光とともに、天使たちの聖歌隊がそこに現れ、「いと高き所に、栄光が神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」と賛美したのです。羊飼いたちは、御使いが言ったことを確かめるために、ベツレヘムへ向かいました。そして、それが本当だということを確かめて、もう黙っていることができなくなって、「それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。」(17節)のです。
 私たちは、このクリスマスの物語を何度もきいてきたかもしれません。でも、この年もう一度新たなる思いをもって私たちのために生まれてくださった「世の光」であるお方をお迎えしましょう。それとともに、羊飼いたちが嬉しくて嬉しくてこの知らせを人々にお伝えしたように、この年、「世の光」である主イエスが来られたことを誰かにお伝えいたしましょう。