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コラム 牧師の書斎から

2017年2月12日 澤村信蔵

日本では、4月から、年度が始まることも多く、今の季節は、受験や就職など、自分の道を選ぶ時期であるように思います。岐路に立った時、どのような道を選ぶか、とても大切に思います。でも、本当は、どのような道を選ぶかということよりも、その道をどのように歩むかの方が大切なのです。信仰の父アブラハムも、多くの財産を持ちすぎて、おいのロトと一緒にいることが困難になったことがあります。財産が無いことも大変ですが、財産がありすぎることも争いになるというのは皮肉な者です。この時は、特に、えさ場が限られているからでしょう。ロトの牧者と、アブラハムの牧者で争いになりました。そこで、ロトとアブラハムは、別々の道を進むことになりました。そこで、不思議なことが起こります。アブラハムは自分で選ぶのではなく、おいのロトに選ばせるのです。もしかしたら、残り物には福があるということなのかも知れません。ともかく選択するボールはロトが握っていました。そこで、ロトは、目を上げて辺りを見渡します。すると、いろいろな土地があります。砂漠や荒野が広がっている地域、緑豊かな地域。ロトは、見るからに豊かな土地を選びました。でも、結果的に見るとこの選択は最悪の選択でした。ソドムとゴモラと言う道徳的に荒廃しきっている地のそばでした。そして、アブラハムはその反対側を選びました。しばらく進んだとき、神様が声をかけられます。「目を上げて、見渡しなさい。」と。ちょうどロトがしたことと同じです。見えたのは、緑豊かな地ではなく、荒廃している荒野、かつて経験した飢饉があった地でした。でも、神様はそのところを祝福すると言われるのです。そして、実際には、その地こそ、神が与えられた乳と蜜の流れる地、神様の約束の土地だったのです。そして、その道には神がいつもともにおられる。このことをアブラハムは信じて、そこにとどまり続け、神の祝福を待ち続けたのです。私たちにとっても同じです。何を選ぶかも大切ですが、もっと大切なのは、神が自分に与えられた道、祝福の道だと信じて、歩んでいくことなのです。