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コラム 牧師の書斎から

2017年2月19日 澤村信蔵

「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」(ヨハネ11章25~26節)信じる者は、救われるというのは、キリスト教の大きな特徴の一つです。御言葉には、信じるという事が繰り返し書かれています。でも、信じるってどういうことなのでしょう。信じるという事には、2種類あると言われます。一つは、信用という言葉があるように、何か明確な裏付けがあって、信じるということです。「鰯の頭も信心から」という言葉がありますが、何でも信用していい訳ではありません。信じるには根拠が必要です。このヨハネ11章には、ラザロの生き返りがあります。そして、主イエス自身が死んでよみがえってくださったという事実があります。その他にも、主イエスがなされたこと、語られたこと、また、主イエスを信じた者が歩んできた生涯、歴史など、様々なことがこの主イエスこそ、信じるに値する、ふさわしいまさに信用できるお方だということを指し示しています。だから、これらを根拠に私たちも、今主イエスを信じているのです。でも、それ以上に、大切なのは、信じるのもう一つの面、信頼です。信頼と言うのは、ある意味では無条件で、条件付けずに信じるという事です。信じるに足る根拠をあげることはいくらでもできます。でも、どこまで行っても、100%証明することはできません。分からない部分が残るのです。正直、私は今なお、主イエスの全てが分かっているわけではありません。でも、私が言えることは、私はこのお方に惚れてしまって、このお方に魅了されて、このお方を信頼しているということです。なんか根拠がある信用ではなく、このお方についていけば大丈夫と信頼しているのです。そして、同時に、不思議なことに、主イエスの側も、私のことを100%信頼してくださっているのです。100%愛し受け入れて下さっているのです。そのことを思う時、このお方を信頼していって間違いないとことだけは分かるのです。この方をこれからも信じていきましょう。