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コラム 牧師の書斎から

2017年3月19日 澤村信蔵

先週、先々週と牧師の葬儀が続きました。一人は、大塚望先生、当教会から献身された大塚満先生のお父様で、ずっと龍ヶ崎教会を牧会されていました。教団の理事や学院長としても奉仕してくだった先生です。私自身も修養生の時、一年間ミッションでお世話になりました。もう一人は、橋本梅子先生で、戦時下の弾圧の時に、文部省から牧師罷免を受け、教会の解散命令という迫害も通られた先生です。17歳で、信仰を持たれ、20歳で献身をして、ご主人である橋本藤一先生とともに、真岡教会を支え続け、104歳で召されました。また、ここには詳しく書けませんが、ある牧師先生の身近な方の死を伺いました。その方は私の半分にも満たない生涯でした。そういうことが続く中でいろいろ考えてしまいました。どんなに長く生きても、どんな働きをしたとしても、ご家族にとって死と言うのは、本当に悲しいものです。また、それがどういう形で訪れたかに係わらず、死は突然訪れます。「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル9:27)とありますが、死ぬことは、主の再臨がなければ避けることができない真実です。でも、私たちの死は、それだけで終わりません。どんなに悲しい出来事であっても、再会できるという確かな希望があるからです。「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。・・しかし、神に感謝すべきです。神は私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。」(Ⅰコリント15:20〜22、57)死にさえも勝利を与えて下さったのがキリストの復活です。もうすぐイースターを迎えます。イースターは私たちの最大の敵である死にも勝利宣言でもあるのです。ともにお祝いいたしましょう。