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コラム 牧師の書斎から

2017年3月26日 澤村信蔵

昨日は、イースター春祭りが行われました。クリスチャンにとって、大切な記念日は、3つですが、イエス様の誕生をお祝いするクリスマス、イエス様の十字架と復活をお祝いするイースター、そして、教会の誕生日であり聖霊が注がれたペンテコステです。今年のイースターは4月16日なのですが、地域の方々にとっても覚えやすいように、祭りは、毎年時期を固定して、3月末~4月頭に行うようにいたしました。

イースターの日は、毎年変わってしまいますので、覚えるのも大変ですが、でも、私たちが忘れていけないのは、イースターに何が起きたかです。主イエス・キリストが死んで3日目によみがえってくださったという事実です。死んだ者がよみがえるというのは、にわかに信じがたい出来事です。荒唐無稽な出来事です。でも、主イエスの復活は事実なのです。実際、弟子たちは、この主の復活のためにいのちをかけました。そして、12弟子のほとんどが、この復活を語り続けたがゆえに、殉教の死をとげました。殺されようともこの復活だけは捨てなかったのです。なぜなら、彼らにとって主イエスの復活はまごうことなき真実であり、絶対に捨てられない信仰だったからです。そして、後に続くクリスチャンたちもこのことのために命をかけたのです。それは今の私たちにも同じです。もし、キリストがよみがえらなかったとしたなら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったことになり、私たちクリスチャンは、最も哀れむべき存在です。(Ⅰコリント15:12~19)しかし、キリストは復活したのです。それは、復活を信じて生きた多くの人々の生き様をとおして、今も証されているのです。私自身もこの復活の主を見たこともあったことはありません。でも、聖書を通して、また、信仰の先輩たちの歩みを通して、また自分自身が実際に信じて信仰生活を送ってきて、確かに言えることは、私の主は今も生きておられるということです。そして復活したキリストは、今も信じる者すべての内に、復活の希望を与え、生きる力を与えつづけておられます。キリストの復活。この素晴らしい出来事こそ、私たちの全ての望みの土台、生きる力なのです。