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コラム 牧師の書斎から

2017年4月30日 澤村信蔵

「私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。」(ヤコブ3章2節)
先週、今村復興大臣(今は前になりました)が、失言をして大臣辞職に追い込まれました。きっかけは自身が所属する派閥のパーティで、東北大震災の復興について言及する中で、「社会資本等の毀損も、いろんな勘定の仕方があるが、25兆円という数字もある。これがまだ東北で、あっちの方だったからよかった。けど、これが本当、首都圏に近かったりすると、莫大(ばくだい)な、甚大な被害があった。」と述べたことが原因です。一番被災者に寄り添うべき大臣が発した言葉としては、ふさわしくないことは明らかです。しかし、意図は分からないでもありません。地震の被害が甚大であったけれど、それでも、まだ最悪ではなかったということを言いたかったのでしょう。実際、そういう面があることも事実です。もう少し被災者に配慮があって語っていたら、同じ趣旨のことを話しても問題にならなかった可能性は大です。
でも、こういう政治家の失言を見ていると、ことばを制御するということの難しさを覚えます。最近、しばらくある方の愚痴というのでしょうか、今の状況における不満を聞いています。息子さんたちも知っているし、とても良い方なので、にわかには信じがたい話もあります。でも、一番心に残っているのは、こう言われたとか、ああ言われたということばなのです。ことばによって、私たちは人を傷つけることができます。でも、当時に、同じことばをもって、人を励まし、人を活かすこともできるのです。
私たちの口から出ることばはどんなことばでしょうか。「私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。賛美とのろいが同じ口から出ているのです。」(ヤコブ3章9~10節)今日も私たちの口をもって主を賛美いたしましょう。