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コラム 牧師の書斎から

2017年6月11日 澤村信蔵

皆さんは、知恵がありますかと聞かれるとどう答えられますか?ソクラテスは、「知恵を追求することで、人間は何も知らない哀れな集団であることを悟る」と言いました。また、アインシュタインは、「知恵は教室では見つからず、教科書からも得られず、ただ生涯にわたる追及で到達できる」と語りました。いろんな立場はありますが、多くの知者が、知恵を追求していくことの大切さを語っています。でも、案外語っていないのは、本当の知恵とは何かということです。知恵を追い求めて行って、本当の知恵にはどうすれば出会えるのか。これが本当の知恵だとどうすれば分かるのかということです。これは、多くの知者が追い求めながら分からないものです。だから、ソクラテスは追求すれば追求する程分からないことを述べているのかなとも思います。でも、イエス様は、明確に答えを出しています。主イエスは、賢い人と愚かな人を、同じ家を建てた人にたとえました。(マタイ7章)3匹の子豚の物語なら、材料が違います。わらはすぐに壊れますし、木はぶつかったら壊れます。でも、レンガは壊れません。でも、イエス様の話は、建てた材料も作り方も全く同じなのです。そして、同じように洪水が押し寄せてきたとき、一つの家は、全く微動だにしないのですが、もう一方の家は、ぺしゃんこに倒れてしまいます。なんでこんな差ができたのか・・そこには、たった一つだけ違いがありました。それは土台です。岩の上に建てるのか・・砂の上に建てるのか・・ということです。岩の上というのは、神の上、神のみことばの上ということです。砂の上というのは、自分の上、自分のことばの上です。土台が違うと、同じように学んで同じように努力して、同じように築き上げても、まるっきり結果が異なるのです。土台をどこに置くのか、そのことを知っているのが知恵なのです。知者ソロモンは語ります。「神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである」(伝道者12章13節)私たちは今日もこの神に従い、最高の知恵を持つ者とさせていただきましょう。