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コラム 牧師の書斎から

2017年8月27日 澤村信蔵

「だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまで取り上げられるのです。」(マタイ25章29節)
「タラント」とは「タレント」と同じことばです。その人に与えられた「才能」「能力」を意味します。努力によって身についたり、開花したりする能力もありますが、主には生まれつき備わっているものを意味します。
マタイの25章には、主人がしもべたちにタラントを預ける箇所があります。ある人には5タラント、ある人には2タラント、ある人には1タラント与えられました。5タラント預けられた人は5タラント儲けました。2タラントの人は2タラント儲けました。でも、主人から与えられたお褒めの言葉は全く同じです。「良くやった。良い忠実なしもべだ。あなたはわずかなものに忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」(21節、23節)でも、1タラントを預けられた人は違います。自分が少ないことに不満だったのでしょう。主人に対する思いも違いました。主人を非道な人だと思い、与えられたタラントで損することを嫌い、土に埋めてしまうのです。そして、彼が期待した通りに非道となった主人は、彼から1タラントを取り上げてしまうのです。まさに彼の信仰のとおりになるのです。何より埋めてしまった彼には、1タラントの価値が最後まで分からなかったと思います。だって活用しなかったのですから。
私たちも神様からタラントが与えられています。どれほどあるのか・・・それは活用しないと誰にも分かりません。与えられたものを忠実にいかす時、初めてその価値が分かるのです。もし、自分にはタラントがないと思うとしたら、それはタラントを活用していないのではないでしょうか。神様はあなたにタラントを与えておられます。それを活用した時、さらに与えられて豊かになることができるのです。