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コラム 牧師の書斎から

2017年10月22日 澤村信蔵

今日は、衆議院選挙の投開票日です。どういう結果になるか分かりませんが、ここ数年のこの国の行政の方向性が定まります。私たちは祈りつつ投票したいと思うのです。もしまだ選挙をされていない方はぜひこの後にでも行ってください。それとともに、自分の願う結果になってもならなくてもぜひ上に立てられた器のために祈ってください。なぜならそれが神の命令だからです。先週Ⅰテモテ2章4~6節からメッセージを語りましたが、その前には、「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。 そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。」(2章1~3節)とあります。すべての高い地位にある人のために、願い、とりなし、祈ることは、私たちが平安で静かに生きるため、また、神の御前に喜ばれるために必要なことなのです。この手紙が書かれた当時も決して教会を愛して、教会のためをなしてくれる指導者ばかりではありません。むしろ、教会を迫害する指導者もいました。でも、神は祈るようにと願っておられるのです。それは、神がすべての人が救われることを望んでおられるからです。どんな指導者であっても救われることを神は望んでいるのです。そして、指導者が神によって変えられ、良い政治がなされていけば、この国に住む多くの人が平安で静かな歩むをすることができます。私たちはともすると悪い指導者は退場いただいて、次の指導者をと願います。確かに、そういうことも時には必要です。それが民主主義です。でも、その前に、私たちは神のことばに聞く必要があります。今の指導者がどうあろうとも、彼らのためにとりなし祈ろうではないでしょうか。神は、その人を救うことができるお方だからです。そして、それこそ神の願いであり、喜びであり、私たちにとって良いことだからです。