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コラム 牧師の書斎から

2018年1月21日 澤村信蔵

先週、名古屋教会に奉仕に行ってきました。礼拝の奉仕をして、食事をして、午後少し質問タイムがありました。その中で、一つの質問がありました。どうしたら洗礼を受けることが出来ますか?小学校高学年の子供が純粋に質問をしてくれました。彼自身も洗礼をうけたいという思いがあったのでしょう。では、どういう人が洗礼を受けるのでしょう。

聖書が明確に語っていること、それは、「御子を信じる者は、一人として滅びることがなく、永遠のいのちを持つ」(ヨハネ3章16節)ということです。主イエス・キリストを自分の救い主と信じて受け入れて、このお方とともに歩んでいきたいと願うものには、例外なく、誰にでも永遠のいのちが与えられるのです。その時点で神とともにこの地上でも、また召された後も永遠に神とともにあることは確定します。そして、主イエスによって救われたものがそのことを明らかにするのが洗礼です。主イエス・キリストを信じていることが、洗礼を受けるための必要な条件であり、かつ十分な条件です。これ以外何もありません。

でも、少年が聞いたのは、きっと洗礼を受けると言う事には、主イエスを信じる以上の何かを求められると思ったからでしょう。でも、必要なことは、ただ一つ、主イエスを信じると言う事です。洗礼は決してゴールではありません。むしろ、これから主イエスとともに歩んでいきますと信仰生活のスタートです。それとともに、主イエスの前に、また人々の前に、主イエスを救い主として受け入れましたということを公けに明らかにすることです。この年も主イエスを受け入れ、信じて洗礼へと導かれる方が一人でも多く起されるよう祈りつつ主のわざに励んでまいりましょう。