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コラム 牧師の書斎から

2018年1月28日 澤村信蔵

先週は、久しぶりに大雪が降りました。火曜日、水曜日はチェーンを履いていたのですが、もう大丈夫かなと思い木曜日にチェーンを外してしまいました。すると、見事に教会の前の坂は上れなくなってしまいました。ほんのわずかなことなのだと思いますが、一度滑り始めると、もう空回りが始まるのです。ほんの少しだけ摩擦があってかみ合えば、上ることができるのです。でも、少し足りないからそこで空回りをしているのです。、荷を背負って歩みだすことができるのです。そして、イエス様の生き方にこそ、人生の坂を乗り越えていく知恵があるのです。

人生も同じかもしれませんね。すべての物事が順調に進んでいる時は、上り坂も、下り坂も乗り越えていくことができます。でも、いろんなことが重なって、ほんの少しでも限界を超えてしまうと途端にすべてのことが空回りして、うまく行かなくなってしまうのです。ほとんどの場合はほんの少しなんです。だから、少しきっかけがあれば、少しの助けがあれば、乗り越えていくことができるのです。、荷を背負って歩みだすことができるのです。そして、イエス様の生き方にこそ、人生の坂を乗り越えていく知恵があるのです。

主は言われます。「疲れた人、重荷を持っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげよう。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ12章28~30節)主は、自分では乗り越えることができない問題を乗り越える力を私たちに与えてくれます。私たちがイエス様のところに来て、イエス様からたましいの休らぎをいただくと、また立ち上がって、くびきを負って、荷を背負って歩みだすことができるのです。そして、イエス様の生き方にこそ、人生の坂を乗り越えていく知恵があるのです。