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コラム 牧師の書斎から

2018年3月4日 澤村信蔵

先週イスラエルで一つの大事件が起こりました。と言っても、紛争があったとかではありません。クリスチャンでない方にとってはあまり興味のない話なので大きなニュースにはなりませんでしたが、聖墳墓教会(主イエスの墓がある教会)が、2月25日~28日まで閉鎖されていたのです。教会の財産等に関する課税する計画があり、それに抗議する意図があったようです。聖墳墓教会は、6つのキリスト教の宗派が共同管理をしています。今回は利害が一致していましたから共同で行いましたが、教派間の争いがいつもあります。あまりにも争いがあるため、何百年にも渡って教会の鍵の管理をしているのは、中立のムスリムの一家です。一つの教派が鍵を持つということになると、主権争いが起こるからです。で、よりによってムスリムに鍵を渡しているのです。主イエスは、私だけの主だと皆が主張したいのでしょう。でも、そうやって主張することによって、教会に一致がないことを明らかにし、主イエスの御名を汚すことになっていることに気づかないというのは本当に愚かなことだと思います。

主イエスは言われました。「あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」(マタイ20章27~28節)このことを教えているクリスチャンが我先にとしているのです。それは私たちも同じかもしれませんね。でも、感謝なことに、そういう私たちであることを知りながらもご自分のいのちを与えるために主イエスは来られたのです。今日も私たちにいのちを与えてくださったいのちの君を心から礼拝しましょう。