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コラム 牧師の書斎から

2018年4月15日 澤村信蔵

最近、「この世界で働くこと」(ティモシー・ケラー)の本を読みました。第1章「神はどのような思いで仕事をデザインなさったのか」は、「聖書が冒頭どんなことよりも仕事について語っている」という書き出しで始まっていました。仕事がいかに重要であり、かつ基本的なことかということです。神様は、この世界を創造されました。それを仕事と表現しています。そして、この世界を創るという途方もない大きなプロジェクトを七日間の労働でなされた。神によって創られた人間もエデンの園の中で働いたのです。つまり、私たちにとって労働することは、本来創られた目的にかなっているのです。ただ、そこに罪が入ったので、それが喜ぶものでなく、苦痛になってしまっただけなのです。そして、もう一つ大切なことが書かれています。それは、神が七日目に休まれたということです。仕事は、不幸の現況で、人生の意味は仕事以外のもので見出すものというのは、明らかに違います。同時に、よりよい仕事を続けていくために、休みの時間があるのでもありません。だから神様は言われるのです。六日間は仕事をし、七日目は休むようにと。そして、安息日を覚えてこれを聖なる日とせよと。このバランスが非常に大切なのです。有意義な人生を送るには、仕事は必要不可欠な要素です。仕事は神様からのプレゼントであり、同時に、人生の目的を与える要素の一つです。そして、それは現役を引退しても同じです。神様からゆだねられたやるべき働きがあるのです。でも、同時に、定期的に手を留めて、神を礼拝することよって、神から力と目的を与えていだたく時も必要なのです。今日は、主の日です。様々な働きを止めて、主の前にともに出ましょう。そして、またそれぞれの働き場へと遣わされていきましょう。