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コラム 牧師の書斎から

2018年4月29日 澤村信蔵

 4月27日(金)板門店の韓国側の施設「平和の家」で南北首脳会談が持たれました。韓国の文大統領と、北朝鮮の金労働党委員長が手を取り合い、南から北、そして、また北から南へと国境を渡りました。ほんの短い時ですが、お互いにということが結構意識されているということを感じました。韓国と北朝鮮どちらかがどちらかに吸収されるようなことではなく、対等の立場でこの場に来たんだということを感じさせるものでした。この南北首脳会談は2007年以来、11年ぶり3回目の歴史的な出来事です。年内には、朝鮮戦争の終戦を宣言し、休戦協定を平和協定へと変換することや、完全な非核化をして核のない挑戦半島を実現するという共同の目標を確認しました。ただ、これから実際に平和がつくられていく過程は一筋縄ではいかないと思いますので、祈りつつ、注視して見ていきたいと思います。でも様々な外圧があったこともありますが、平和を生み出して行こうという意思を感じました。でも、同時に、やはり平和を生み出していくということの困難さを覚えます。相手のしたこと、特に、相手の過失の過去を忘れることは難しいことです。そう思うと、神がしてくださったことがいかに素晴らしいかと思わされます。ローマ人への手紙の5章には、私たちがどんな時にキリストが私たちのために死に、和解の道を、平和の道を開いてくださったかが記してあります。6節「私たちがまだ弱かったとき」8節「私たちがまだ罪人であったとき」10節「敵であった私たちが」と、私たちが弱く、罪人であり、神の敵であった時に神は和解へと進んでくださったのです。それも、和解のためのすべての犠牲を神が払ってです。ひとり子イエス・キリストを私たちのために十字架につけ、私たちの身代わりにするという方法で。私たちとの和解を成り立たせてくださった神を心からあがめます。