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コラム 牧師の書斎から

2018年5月27日 澤村信蔵

「私は、あなたが情け深く、あわれみ深い神であり、怒るのにおそく、恵み豊かであり、わざわいを思い直されることを知っていたからです。」(ヨブ4章2節)
昨日、1年で聖書を学ぶ会で、ヨブ記を読みました。冒頭のみ言葉は、ヨブが、イスラエルの敵国であるアッシリアの首都ニネベを神様が滅ぼさないということが分かった時に、神様を責めるように言った言葉です。アッシリアは滅ぼされるべきであって、助けるべきではないというのがヨブの最初からあった思いでした。だから、ニネベに行けという神の声を聴いても、従わずに、タルシュシュへ逃れようとしたのです。結局彼の心配していた通りに、神様はニネベの街を救ってしまったのです。そして、神様、あなたはあまりにもあわれみ深すぎると責めたのです。でも、それはヨナと神様のニネベに対する認識が違うからです。
神様は、ヨナが憎んだニネベの人々をも憐れんでくださるのです。それも、ニネベの人々が優れているからではありません。「まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」(4章12節)それは彼らが右も左もわからないからです。イエス様の十字架の上での祈りに通じるものがあります。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23章34節)どんなものであっても、神の前には、何をしているかわからない。右も左もわからないあわれみを受けるべき存在なのです。その神のあわれみに私も、そしてあなたもあずかったのです。そして、私たちが滅んでも当然と思う人にも神のあわれみは注がれているのです。神は私たちが思うよりも願うよりもはるかに情け深くあわれみ深いのです。