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コラム 牧師の書斎から

2018年6月3日 澤村信蔵

「もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。」(マタイ6章14節)
日本大学と関西学院大学のアメフトの暴力的な反則の一つの結論が出ました。関東学生アメフト連盟が、調査をし、日大の監督とコーチを「除名」(事実上の永久追放)処分にしました。同時に、監督は、日大の常務理事も辞任しました。アメフト好きということもあって、当初からこの出来事の推移を見てきました。特に自分の非を認めようとはしない監督、コーチに対して、憤りにも近い感情を持っていたことも事実です。裁かれる姿を見て当然とも思ったりもしました。
でも、ある時神の前に出ていた時にふと思わされました。私にこの人たちを裁く権利や資格はあるんだろうかと。罪を罪とも認めないのは、この監督やコーチだけではありません。むしろ、そのような傾向性は私のうちにこそある。そう神様から教えられた時、神の前に悔い改めました。
私たちも罪を罪とも思わない傾向性を持っています。でも、神様は、そんな私たちを愛して赦してくださるのです。ペテロが、「主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」と聞いた時、イエス様は、罪を赦したら「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。」(マタイ18章21節~22節)と語りました。ペテロは、さすがにここまで赦したらもう十分だと七度と言ったのですが、主イエスは、そんなどころではない、何度でもと言われるのです。でも、この恵みに最初に預かったのは、ペテロ自身です。何度も失敗し、最後には、三度イエス様を知らないと言いました。でも主イエスは、豊かに赦してくださるのです。私たちも豊かに赦す者となりましょう。