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コラム 牧師の書斎から

2018年7月8日 澤村信蔵

先日、長崎と天草地方の「潜伏キリスタン遺産」が、世界遺産登録されました。最初は、キリスト教遺産というものでしたが、途中で名称変更をしました。潜伏キリスタンという言葉はあまりなじみのない言葉ですが、「かくれキリスタン」とは少し定義が違います。江戸時代、キリスタン禁制の時代に迫害の中、幕府の摘発を逃れるために、表社会では仏教徒として生活をし、内面的にキリスト教を信仰する人たちです。独自の文化、独自の信仰を守ってきました。そして、禁教令が撤廃された後も、潜伏時代の信仰形態を継承している人たちを「かくれキリスタン」と呼ぶとのことです。でも、人によっては、もはやキリスタンではないというようなものに変質してしまったことも事実です。長いキリスタン禁制の中、信仰を守り通していくことの難しさを覚え、彼らの姿を素晴らしく思うと同時に、変質してしまったということに寂しさと悲しさを覚えます。
 でも、それは、私たちも同じかもしれません。黙示録でエペソにある教会に語られた言葉を思い起こします。「あなたは初めの愛から離れてしまった。それで、あなたはどこから落ちたかを思い出し、悔い改めて初めの行いをしなさい。」(黙示録2章4節、5節)信仰を表面的に守ることはできても、まさにこの「初めの愛」が欠けていたからこそ、全く違うものへと変化してしまったのです。私たちも初めの愛、神様を愛する愛、いや神様から命がけで愛されているというこの愛を忘れてしまうと私たちの信仰も変質してしまいます。かつての情熱が冷めてきているなと感じることはありませんか?もしそうであれば、もう一度求めましょう。神様は変わらず私たちを無条件で愛しておられるのですから。