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コラム 牧師の書斎から

2018年7月22日 澤村信蔵

「信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。」(使徒2章44~47節)初代教会の麗しい姿がここにあります。すべてのものを共有出来るほど密な関係性は素晴らしいですね。でも、同時に、私たちが当惑する部分があることも事実です。すべての財産を共有にするというのは、何かかつてのオウム真理教などを思い起こすような言葉です。財産を共有することは難しいですが、その真意の部分は私たちも見習いたいですね。私たちの持っているものは、すべてのものが神様から与えられたものです。自分のものと握りしめるのではなく、困っている人などそれぞれの必要に応えるためにささげていくことは大切です。でも、それよりももっと大切なことは、痛みや思いを共有し、分け合うということです。そのための交わり、そのための神の家族です。家族であればこそ、ともに支えあるのです。でも、そのためには、まずともにあり、思いを共感することが必要です。ともに喜び、ともに悲しみ、ともに歩んでいくのです。その分かち合いをする場が必要です。ぜひ午後に持たれていますそれぞれの交わりにも積極的に参加していきましょう。また奉仕のグループもその一つかもしれませんね。礼拝に来て、賛美をささげ、メッセージを聞くだけでは、交わりと言う部分が少し不足しているのかもしれません。私たちの教会の弱い部分ですね。ぜひそういう面においても充実させていきましょう。お互いの交わりがさらに深められますように祈ります。