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コラム 牧師の書斎から

2018年8月5日 澤村信蔵

「イエスは手を伸ばして、彼にさわり、『わたしの心だ。きよくなれ』と言われた。すると、すぐに彼のツァラートはきよめられた」(マタイ8章3節) 先日ある方から手紙が届きました。初めてお手紙をいただく方でしたが、長島愛生園内の牧師先生からでした。新改訳聖書も、今年全面改訂されて新改訳2017と変わりました。来年には、新共同訳聖書も新しくなります。その際に、ヘブル語の「ツァラート」をどのように訳すか意見を聞かせてくださいとのお手紙でした。新改訳聖書では、かつては、「らい」と訳していたのですが、第三版から「ツァラート」とそのまま訳すようになりました。それは、いわゆるらい病、ハンセン病と、聖書に出てくる「ツァラート」は異なるからです。何らかの皮膚に現れる病気ではありますが、風土病で、具体的に今でいうどういう病気かはよくわかっていません。新共同訳では、「重い皮膚病」と訳しています。でも、どうして一つの病気の訳にこだわるかと言えば、「ツァラート」が汚れと非常に深いかかわりがある病気だからです。病気になると町の中から追い出され、町に入る時には汚れていると叫び続けないといけない病気だからです。訳し方によって、「らい」の方々や、「重い皮膚病」の方々が心痛められるからどう訳すかが課題になるのです。でも、どうして神様はこんな規定をされたのか理解しづらいです。ただ、わかることが一つだけあります。それは、主イエスは、神によって規定された汚れをもいとわずに、手を伸ばして触れてくださったということです。わざわざ触れてくださるのです。どんな規定をも上回る神の愛を覚えるために、この病があったのかもしれません。神様は私たちには理解できない様々な規定をも設けておられます。でも主イエスの愛は、そのすべてを乗り越えることが出来るのです。