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コラム 牧師の書斎から

2018年9月2日 澤村信蔵

「ある貧しいやもめが、そこにレプタ銅貨二つを投げ入れているのをご覧になった。」(ルカ21章2節)
聖書には、神様への愛のささげ物の話が繰り返し書かれています。最初に出てくるのは、アベルです。新約聖書にも、五つのパンと魚二匹をイエス様のためにとささげた少年や、ナルドの香油を主に注いだ女性などが出てきます。彼らはささげ物をささげないと主から嫌われるからささげたのでしょうか?また、ささげないと祝福を減らされてはたまったものでないからささげたのでしょうか?そうではありません。神様が大好きで、神様が自分を祝福してくださると心から期待してささげたのです。神様は、そのようなささげものに、また、ささげた人に目を注いでくださいます。そのような人々に神様は豊かに報いてくださるのです。
レプタと言うのは当時の最も小さいお金です。1デナリの128分の1、大体~100円です。多くの人が、大金をささげているにも関わらず、主イエスはこの女こそ一番多くささげたのだと言われました。それは、このレプタ2枚が彼女の持っていた生活費のすべてだったからです。神様が見ておられたのは、ささげた額ではありません。むしろ自分のために取り分けた額がどれほど多いか、少ないかです。この女性は、レプタを2枚持っていました。ということは、3つの選択肢があったのです。2枚ささげる、ささげない、そして、1枚だけささげる。レプタ1枚で何ができるかわかりませんが、でも、わずかの食糧を得ることはできたはずです。でも、彼女は、神様を愛するあまりすべてをささげたのです。その行為を神様が見ておられたのです。ささげものは額の多寡が問題ではありません。でも、同時に、私たちが神様をどれほど愛しているかの指標でもあります。私たちは今日も精いっぱい主にささげていきましょう。