ここからコンテンツ

コラム 牧師の書斎から

2019年1月27日 澤村信蔵

私たちは、変わらないもの、確かなものを基盤として生活すると、安心できます。健康や、家庭や、仕事など、基本的に大きな変化がないことを願います。でも、その基盤が動くと私たちは動揺します。例えば、健康状態が大きく変化する、家庭や仕事がうまくいかなくなると、途端に自分の存在の基盤まで大きく揺れ動いてしまったかのように感じて、慌てふためきます。時には、自分は神様から見捨てられたんじゃないだろうかとまで思うこともあります。
 実際、この世のものはみな移り変わっていくのです。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」平家物語の有名な冒頭部分がまさにそのことを歌っています。どんなに変わらないと思うものも必ず移り変わっていくのです。絶対に変わらないものがないことを述べます。でも、神様は言われます。「『たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない。』とあなたをあわれむ主は仰せられる」(イザヤ54章10節)神の約束、神の愛は、何があっても変わることがないのです。実際、そのことは、イスラエルの歴史を見たらわかります。彼らがどうあろうとも、神の愛と約束は変わりないのです。私たち、この神の約束、神の愛に基盤に置くならば、何があっても揺らぐことはありません。なぜなら、すべてのものが変わっても、変わらないのが神の約束であり、神の愛だからです