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コラム 牧師の書斎から

2019年3月17日 澤村信蔵

3月11日を迎え、あの日から8年の年月が過ぎました。3.11の前後に多くの特別番組などの特集がなされました。回復して、普通の生活に戻っておられる方々もおられますが、未だに回復途上にもたっておられない方々がおられることも事実です。あの日からまったく変わっていないのではとも思う人もおられるのです。また、津波の被害のあった地域に戻るのか、はたまた高台へ移るのか、地域を分断していることもあるようです。これは、津波による甚大な被害を受けたことも影響しています。そして福島原発のこともまだまだ目途さえも見えていないのが現状です。神のわざに期待してなお祈っていきましょう。
 今から100年くらい前になりますが、1923年9月1日関東大震災が起こりました。当時最も被害が大きかったのは火災です。火災によって21万件を超す建物が焼失しました。そのよう中で、J.V.マーティンが震災翌日、明治学院で被災されている方々を見舞いに行ったとき、蚊帳の中で点火されたろうそくの火が丁度、暗がりの十字架に見えたことをきっかけにつくられたのが、「遠き国や」の讃美です。
「遠き国や海の果て いずこにすむ民も見よ なぐさめもてかわらざる 主の十字架は輝けり なぐさめもてながために なぐさめもてわがために 揺れ動く地に立ちて なお十字架は輝けリ」
たとえ地震が起きて、多くの建物が焼失しても、十字架だけはどんな状況にあっても輝くという詩です。地震だけでなく、私たちを揺れ動かすような出来事は起こりえます。しかし、私たちが忘れてはいけません。そのような中にあっても、いやそのような中だからこそ、十字架は輝き続けるのです。