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コラム 牧師の書斎から

2019年3月24日 澤村信蔵

「訴えは神の前にある。あなたは神を待て。」(ヨブ35章14節)
 今、祈祷会で詩篇を読んでいますが、詩篇には多くの苦悩が書かれています。時には、悪者が滅びることを願う祈りも書かれています。うめきのような言葉にならない叫びもあります。私たちも共感するところがあります。そして、どうして、神様は私の祈りを聞いてくれないのか。神様は私を忘れてしまっているのではないか。それとも私の行いや何かが悪くて、祈りが神様の前に届いていないことがあるのか。そんな詩もあります。昔、祖父から、そんな悩みを打ち明けられたことがあります。「自分がこんなに病で苦しいのに、神様は私の祈りなんて聞いてくれてるのだろうか・・そもそも、私は救われているのだろうか。」そういう問いでした。でも、ほどなくして、神は、祖父にこたえてくれて、自分が神に愛されていること、そして、自分の祈りも聞かれていることが分かったと喜んで言っていました。
 み言葉は、語っています。「訴えは神の前にある」と。私たちが祈った祈りは、必ず神の御前に届けられているということです。確かに、何で試練があるのか、何でこんなことが自分に起こるのかそのことがわからないことが多いです。それこそ天国に行くまでわからないこともあるでしょう。でも、そんな時叫ぶ祈りを神は聞いてくださるのです。「訴えは神の前にある。あなたは神を待て」いろんな疑いの思いが駆け巡ることがあるかもしれません。でも、あなたの訴えは神が聞いておられるのです。だから、私たちがすべきこと、それは神に期待して待つということです。神は絶対にあなたを忘れません。待っていれば、神の解決が必ず訪れるのです。