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コラム 牧師の書斎から

2019年7月7日 澤村信蔵

「主を恐れよ。その聖徒たちよ。彼を恐れる者には乏しいことはないからだ。若い獅子も乏しくなって飢える。しかし、主を尋ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない。」(詩篇34:9~10)
 聖書全般を通して私たちが学ぶべき一つの大きなテーマは主を恐れることです。主を恐れることは、知識のはじめです。ただ、恐れるという漢字があまり良い印象を与えないので強調されない傾向にあります。神への恐れは、神への恐怖をもって離れていくものではなく、神に対する畏敬の念で、神を慕わしく思い近づいていく気持ちです。
 今は恵みの時代です。どんなものをも無条件で愛してくださる神様の愛、また、受けるにふさわしくない者にも注がれる神の恵みの大きさに圧倒されます。でも、その神の恵みは、罪を犯したままで自由奔放に生きても、神様に不従順でも、不忠実でも赦される特権が与えられているというわけではないのです。実際、神様の恵みと神様への恐れは決して相反するものでありません。むしろ、私たちが受けた神からの一番の恵みは、私たちがどんなときにも神と交わり、神を畏れ、神に近づくことが出来ることです。
 私たちは、毎週日曜日ここに集い、礼拝をささげています。でも、まだ満たされていない、もっと祝福を、もっと恵みをと願っている方もいるかもしれません。そういう人は、まさにみ言葉のように、主を恐れ、主を尋ね求めればいいのです。そうするならば、乏しいことはなく、すべての良いものを受けることが出来るのです。