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コラム 牧師の書斎から

2019年8月11日 澤村信蔵

「主の前に静まり、耐え忍んで主を待て」(詩編37:7)
 インターネットの時代になり、待つことが苦手になっているかもしれません。手紙は、届くまで数日、返信が来るのには、さらに数日かかりました。海外なら一往復するのにひと月ほどかかることもあるでしょう。でも、今は世界中、どこにでもすぐに届きます。LINEなどのSNSだとどこにいてもすぐにやり取りが出来ます。そして、相手が見たかどうかまで分かります。見ているのに、返信がないといらいらすることもあります。
 人は、自分が正しいと思い、事態をすぐに自分の思うように変えたいと思うから、待てなくなってしまうのではないでしょうか。でも、すべての中に、神の御手があり、すべてを最善としてくださる神様がおられることを覚えることが出来れば、私たちは待つことが出来るのではないでしょうか。私たちが神に祈ったこと、私たちには見えなくてもそれは必ず神の元へと言っているのです。そして、神の最善の時に、神が私たちに応えてくださるのです。私たちはその神様を信じて、主を待つものとさせていただきましょう。
 そして、もう一つ忘れてはならないことがあります。それは、神が私たちを待っていてくださるということです。神様は、私たちが神を知らなかった時も、神を知って神から離れてしまった時も、いつも私たちを待っていてくださいました。神が待っていたからこそ、私たちは今こうして神の前にいることが出来るのです。とすれば、私たちも、私たちを待ってくださる神様を待つものとさせていただきましょう