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コラム 牧師の書斎から

2019年12月1日 澤村信蔵

 「コリントにある神の教会へ。すなわち、私たちの主イエスの御名を、至る所で呼び求めているすべての人々とともに、聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々へ」(Ⅰコリント1章3節)
 毎月第4土曜日には、聖書を学ぶ会をしています。先月は、大掃除などもあったために昨日行いました。新約聖書の一つの書を取り上げ、どんなことが書かれているかを通して、神様のすばらしさを味わいます。今回は、コリント人への手紙第一でした。皆さんはコリントの教会は、どんな教会だと思いますか?聖書を読むと非常に問題があった教会のようです。パウロが何度も訪問し、手紙のやり取りをしています。具体的な課題としては、多くの派があり分裂していました。また不品行もはびこっていました。それは当時の世間一般から見ても眉をしかめられるようなものまでありました。例えば、パウロは、父の妻を妻にしている(5:1)人までいると指摘しています。そういう教会に問題ただすために書いたのがコリント人への手紙第一です。でも、その呼びかけは冒頭の言葉でした。ほかにも、彼らを指して、「神の畑」「神の建物」(2:9)、「神の神殿」(2:16)など神様のものであることが繰り返し書かれています。そして、彼らを聖徒として召されて、聖なるものとされたと語っているのです。どこが???って思います。でも、これが神の見方なのです。過去や現在の不十分な姿に目を向けるのではなく、神が最終的に立て上げてくださる完成形を見て、今もう既にその形があると見てくださるのです。まだ完成はされていないけれど、時間を超越しておられる神から見れば完成されている未来の姿は、確かなものとして今あるのです。そして、同じように神は私たちをも見ておられます。神が見ておられる目で自分自身を、そして周りの人々を見ていきましょう。