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コラム 牧師の書斎から

2019年12月29日 澤村信蔵

 24日クリスマスコンサートには、あふれるばかりの沢山の方々が来てくださいました。多くの教会でも、特に、24日夜から25日にかけて、多くの集会が開かれて、沢山の方が主の誕生をお祝いしました。ただ残念なのは25日のクリスマスを終えると、すぐに装いが代わり、町はすっかり年末お正月ムードになります。でも、イエス様が来てくださった喜びは、クリスマスで終わりではなく、クリスマスから始まるのです。やみの中にあるこの世界に光が来てくださったのです。そして、その光は、今なお灯されているのです。ネパールに行ったときに、光の祭りを見学しました。光の祭りと言っても、きらびやかな光は全くなく、昔ながらのろうそくの火を礼拝する場所に灯すというシンプルなものでした。でも、そこに忘れられない一つの光景がありました。それは、半分が真っ暗な机で、もう半分が光で包まれた机です。説明すると何のことはないのですが、半分は今まさに売るためにろうそくに火がともされていて、もう半分は、まだしばらく売れないので点火していないというだけです。でも、その光景を見ながら、気づかされました。それは、暗いものも、光がついているものも、ともに同じろうそくであり、全く違いはないということです。でも、火がつくとその光は闇の中で輝くことが出来るのです。私たちも同じですね。主イエスという光が私たちにもたらされて、私たちのうちにあるなら、私たちも光輝くことが出来るのです。イエス様の光を今日もこの暗闇の世界に輝かせるものとさせていただきましょう。