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コラム 牧師の書斎から

2020年1月12日 澤村信蔵

先週、保釈中に、日本からレバノンヘ脱出したカルロス・ゴーン氏の記者会見がありました。今回の記者会見で、脱出時の様子を詳しく聞けるのかとも思いましたが、一切語らず、日本の検察のやり方への不満を述べるにとどまりました。彼の本音は、脱出したことを悪い事とは思っていないのでしょう。人質司法とも言われますが、長時間拘束して自白を引き出そうとするやり方は褒められたものではありません。でも、検察が悪いのだから自分も悪いことをしていいとはなりません。自分だけが悪いのではない。あの人もやっている。もっと悪い人がいっぱいいる。なぜ自分が・・という思いであふれていました。本当は、他者との比較ではなく、自分が公正であることを証明すべきだったのではないでしょうか。
 罪は、相対的なものではありません。なぜなら、私たちは、いつの日か聖なる神の前で弁明をしなければならないからです。その時、誰よりはまし、みんなやっていると言ってもそれは無意味です。その時判断されるのは、神の前に罪なくきよいかどうかで言い訳は通用しません。どうでしょうか。皆さんは大丈夫ですか?私は大丈夫です。それは自分の行いがという意味ではありません。「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は、真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(Ⅰヨハネ4章9節)とあるように、神が主イエスの十字架の血できよめてくださるからです。真実な神に根拠を置き、私は主の十字架によって聖いと告白する者とさせていただきましょう。