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コラム 牧師の書斎から

2020年3月8日 澤村信蔵

「傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯心を消すこともなく、真実をもってさばきを執り行う。衰えず、くじけることなく、ついには地にさばきを確立する。島々もそのおしえを待ち望む」(イザヤ書42章3~4節)
職人は、技術もさることながら、見極める目が大事です。パピルス職人の場合は、傷のないパピルスだけを選んで籠を作っていました。傷があるパピルスは、使えないので、折ってしまいます。「傷んだ葦」というのは、そういうパピルスを意味します。私たちに当てはめれば、罪や失敗をしてしまった者と言えるでしょう。今の時代、みんなでこぞって罪や失敗を探します。先日も、トイレットペーパーのデマを流した職員が属していた医療生協が謝罪をしました。職務上で行ったことでもないのに、なぜ職場が謝らないといけないのかと思ってしまいました。既に抗議があったのか、抗議されるかもと恐れたのかもしれません。多くの人がすぐに犯人捜しをし、特定し、責めます。一つの失敗が許されない時代になりました。
でも、私たちの神は違うのです。「傷んだ葦を折ることもなく」人が見捨ててしまうような者であっても、また、自分でも自分の価値を見出すことが出来ない者であっても、神は見捨てることはないのです。そして、そのような人を用いて、正義をこの地で確立しようとされているのです。私もそうですが、傷のない者はいません。誰かを責めることはできないのです。こんな私たちを赦し、癒し、用いようとおられる神がいるのです。あなたは、神様にとって絶対に見捨てることのない尊い存在なのです