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コラム 牧師の書斎から

2020年8月9日 澤村信蔵

「このような苦難の中にあっても、動揺するものがひとりもいないようにするためでした。あなたがた自身が知っているとおり、私たちはこのような苦難に会うように定められているのです。」(Ⅰテサロニケ3:3)

 「苦難に会うように定められている」とあまり嬉しくないことが書いていますね。実際、苦難でもうボロボロだという方もいるかもしれません。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」(5:16~18)とあっても、喜べない状況、感謝できない環境なんだいう方もおられるでしょう。でも、神は私たちがその状況の中にあることを知っておられます。それどころか、その苦難に会うように定められたのです。実は、そこにこそ、私たちの希望はあります。なぜなら、神は知っているから、備えをしてくださるからです。テサロニケの教会には、神の同労者であるテモテを先に遣わし、「あなたがたを信仰において強め励まし」(3:1~2)という備えをされていました。だから、ひとりも動揺することがなかったのです。このテサロニケの教会と同じように、私たちにも備えをしてくださっているのです。光が見えないという状況の中にあっても、苦難が来ることを知っておられる主は、必ず脱出の道も備えてくださっているのです。「神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせるようなことはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」(Ⅰコリント10:13)