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コラム 牧師の書斎から

2020年1月17日 澤村信蔵

「私が苦しみの中を歩いても あなたは私を生かしてくださいます。…主は私のためにすべてを成し遂げてくださいます。主よ あなたの恵みはとこしえにあります。」(詩篇138:7~8節)

 私たちの人生の中における主人は「私」でしょうか?それとも「主なるイエス・キリスト」でしょうか?自分が中心になって自分で生きていこうとするとき、すべてのものがうまくいかないということを私たちは知っています。特に、今のような恐れの中にある時には、恐れのあまり、縮こまり何をしてもうまくいかないことがあります。だからこそ、私たちは、イエス・キリストにすがり、このお方を主と仰ぐのです。それはつまり、イエスこそが私のマスター(主人)になったということです。主はご自身が始められたことを全て主権の中で治めてくださり、導いて下さいます。主が全てを成してくださるのです。天地を造られた方にできないことはなく、眠ることもまどろむこともないお方の中に私たちは生かされています。ただ、私たちは、頭で分かってはいても、本当に委ね、ささげきれているでしょうか。それは、自分のやるべきことを何もしないで、全部放り投げるかのように任せることではありません。主導権をイエス様にお委ねするのです。私たちの主は、私たちを生かしてくださるお方ですから、私たちのやるべきことは、なくなるどころかどんどん増えていきます。そして、ただ神様に委ねられたことを忠実に、誠実に行っていくのです。「私」がイエス様を邪魔することがなくなれば、主は私たちのために全て成し遂げてくださるのです。