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コラム 牧師の書斎から

2021年1月24日 澤村信蔵

「主を自らの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。」(詩篇37:4)

 みことばには、神様が私たちの心の願いをかなえてくださるとあります。自分の望みがかなうことは嬉しい事です。でも、それだけでの意味ではありません。主を自分の喜びとせよとあります。心から神様を愛するとき、神様がご自分の願いを私たちの心に与えてくださいます。そうなると、私たちはもはや自分の満足以上に、神の御心を願い求めるようになり、最終的には神が願っておられることをしたくなるのです。これは、イエス様のゲッセマネの園での祈りにもありましたね。「父よ、みこころなら、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの願いではなく、みこころがなりますように。」(ルカ1:42)イエス様の一番の願いは、この杯を取り除けたいということではないのです。もし、そのことを願われたら、神はそのようにされたかもしれません。でも、イエス様の一番の願いは、神様のみこころがなることでした。そして、実際、神はみこころを行ってくださって、私たちの救いを成し遂げてくださいました。それは、イエス様にとっても、苦痛の道だけではありませんでした。十字架にかかって死んだイエス様をよみがえらせてくださったのは神です。そして、神がイエス様を神の右の座にまで引き上げてくださったのです。私たちも、神様がみこころになることを第一に喜ぶものとさせていただきましょう。そうすれば、主があなたの道を成し遂げてくださり、あなたの心の願いをかなえてくださるのです。