ここからコンテンツ

コラム 牧師の書斎から

2021年6月27日 澤村信蔵

 「しかし、あなたは健全な教えにふさわしいことを語りなさい。」(テトス2:1)

 先週聖書を学ぶ会でテトス書をともに学びました。パウロは、牧会者であるテトスに、健全な教えにふさわしく語り、また生きることを求めていました。テトスが牧会していたクレタの教会には、にせ教師などが入り込んでいたようです。でも、にせと本物をどう区別してたいいのでしょう。今は異端やカルトも、昔の統一教会やエホバの証人などととは違って、分かりにくく、かつ非常に巧妙になってきています。教理も聖書的でないと指摘された部分は表に出さず、修正するようです。そういう中で、私たちはどうすれば、本物を見極めることが出来るのでしょうか。聖書のみことばに基づいているかという基準で見るということです。テトス書は、2:11~15、3:4~7で私たちが信じるべきことが書かれています。そこから外れていないかです。それこそ、どんな有名な牧師が語ったとしても、聖書の全体の真理から外れるならばそれは正しくないのです。いつもみ言葉は何を語っているか聖書の言葉に私たちの基準を置いていきましょう。もう一つ、語られたことによって、良い生産的なものが生み出されていくのか、破壊されてしまうのかです。にせ教師の言うとおりにしたときに家庭が破壊されていきました。たとえ本人は良いと言っていても、その教えによって、家庭や生活が破壊されているならばそれは良いものではないのです。私たちは、この健全な教え、神が与えてくださったみことばの真理の中を生きていきましょう。