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コラム 牧師の書斎から

2021年8月1日 澤村信蔵

 「私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。」(ローマ1章16節)

 先日、ある方と一緒に病院にいきました。介護タクシーをお願いして、一緒に車いすのまま乗ったのですが、車に乗るや否や、大きな声で祈りを始められるのです。イエス様今日も守ってください。これから出かけます。あなたの守りがありますようにと。周りに誰がいるとかそんなこと全く気にすることなく、祈るのです。  病院に行ってからも同じです。ご本人自身は、自分がどこにいるのか、ここどこ?10回以上も聞かれていました。そのたびにお答えするのです。そういう状況です。でも、そんな状態の中でも、イエス様のことは忘れることなく、何かあればイエス様を証ししているのです。看護師さんに声をかけられても、出てくる言葉は、イエス様が守ってくださって本当に感謝ですと必ずイエス様のことを語るのです。いろいろと出来ることは減ってきているのですが、それでもイエス様を愛し、大胆に証しするその姿に感動を覚えました。  イエス様のことを語らざるを得ない。イエス様に頼らざるを得ない。それ以外の道はないことを姉妹を見ていて気づかされます。私たちも同じですね。何かが出来ないからイエス様が必要、何かが出来るからイエス様が必要でなくなるのではありません。私たちは何があっても、イエス様の救いが、助けが必要なのです。どんな時もこのことを覚えましょう。そして、如何なる時も、このイエス様が私たちに与えて下った福音を証ししていきましょう。