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コラム 牧師の書斎から

2021年8月15日 澤村信蔵

 「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」(マタイ6章33節)

 こんな話を聞いたことがあります。教授が一つの大きな壺を持って来ました。そこに大きな石を入れて、そのあとに小石をざらざらと壺の中に流し入れました。そのあとで、学生に聞きました。「壺はいっぱいですか」。学生が「はい」と答えると、教授は「いいや、違う」と答え、砂利を入れ始めました。砂利をいっぱいに入れ、再び「壺はいっぱいですか」と問いかけると、学生が「いいえ、違うと思います」と答えました。「その通りだ」といって、今度は砂を取り出し、砂を入れ始めました。砂で壺を満たすと、再び「この壺はいっぱいですか」と学生に聞きました。学生は「もう満杯です」と答えるのですが、最後に教授は水を取り出して、壺の中になみなみと注ぎました。この出来事は何が言いたいのしょうか。いっぱいだと思っても、努力すれば詰め込むことができるということでしょうか。違います。この壺は人生です。物事には優先順位があります。大きなものから順に入れなければ、後から入れようとしても入らないのです。先に水でいっぱいにしてしまうと、もう大きな石はもちろん、砂さえも入りません。私たちの優先順位、最初に私たちの心をしめているのは、何ですか?最も大きな神様を最初にしたときだけ、本当の意味ですべてを満たすことができるのです。