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コラム 牧師の書斎から

2021年8月22日 澤村信蔵

 「ダビデのマスキール。ダビデが洞窟にいたときに。祈り。声をあげて私は主に叫びます。声をあげて私は主にあわれみを乞います。私は御前に自分の嘆きを注ぎ出し私の苦しみを御前に言い表します。」(詩篇142篇1~2節)

 この時の出来事は、1サムエル19:1-22:2に書かれています。仕えていたサウル王からいのちを狙われ、やっとのことで逃れていった場所は、ガテの王アキシュが支配する国でした。そこでは、気がくるったふりをしてやっとのことで逃れることが出来ました。そして、行きついたところが、このアドラムの洞窟です。どうすることも出来ない孤立無援で敵に囲まれている状況でこの詩を読みました。私たちもいのちまではねらわれることはないですが、どうすることも出来ないような状況に入ってしまうことはあります。どこに逃れの場があるのか、どうすれば救われるのか途方に暮れることがあります。この様な時私たちが出来るのは祈りしかありません。でも、私たちは今日も祈ることが出来るのです。ダビデは、主に声を出して祈り願い、嘆き苦しみを注ぎだしました。Ⅰサムエル22章を見ると神様は救いを始めてくださり、400人もの仲間を用意してくださっていたのです。ただ、よく考えてみてください。絶望して祈りをした時には、もうすでに神の救いは始まっていたのです。ただダビデは知らずに、でも希望を置いて祈っていたのです。私たちも今厳しい戦いの中にあります。でも、どんなときにも嘆きや苦しみを注ぎだし訴えることが出来るお方がいるのです。この神は今日も私たちを助け救い出してくださるのです。