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コラム 牧師の書斎から

2021年9月19日 澤村信蔵

 神のみこころによりキリスト・イエスの使徒として召されたパウロと、兄弟ソステネから、コリントにある神の教会へ。すなわち、いたるところで私たちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人とともに、キリスト・イエスにあって聖なる者とされ、聖徒として召された方々へ。(Ⅰコリント1章1~2節)

 先週から中高生向きのディボーションは第一コリントを読んでいます。まず先入観無しに一度1~9節を読んで見てください。コリントの人々がどんな人々か分かります。聖なる者とされた聖徒(2節)であり、あらゆる知識において豊かな者(5節)で、キリストの証しは確かだし(6節)、どんな賜物に欠けたところがなく、熱心に主を待ち望む(7節)人たちです。こんな人たちならぜひとも会いたいと思いますよね。でも、実際はパウロが手紙を書いた教会の中で一番問題があったのがコリントの教会だと言われています。だからこそパウロは手紙を書かなければなりませんでした。では、パウロは、思ってもないことを言ったのでしょうか?そうではありません。パウロは、彼らの完成された姿を霊の目、神の眼差しを持って見ていたのです。そう思う時、神様が私を見ていてくださる目に気づくのです。神様は、内にある可能性、良いものに目を向けてくださるのです。しかも、最後には、彼らをも責められるところがない素晴らしい者へと変えてくださる(8節)のは神です。私たちもパウロと同じようにこの神の眼差しを持ちたいですね。神の完成された姿で自分をまた周りの人を見ていきましょう。