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コラム 牧師の書斎から

2021年9月26日 澤村信蔵

 「ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」(Ⅱコリント4章16節)

 今日は、敬老祝福礼拝ですが、衰えというのでしょうか老いることは落胆してしまうことの一つです。老いることは辛いことです。体力が衰え、心の働きも弱くなり、社会からも遠ざかり、生き甲斐や希望も痩せ細っていく辛い時期です。成長していく上り坂のような時は、失敗しても何度でもやり直しが出来ますし、成長がその失敗を凌駕します。でも、老いていく時代、下り坂は、もう自分ではどうやってもまた再び上り坂に入ることは出来ません。しかも、老いると病いを患うことも増えます。その病いが老いを加速させることもあります。そして、いつかただ死を待つだけという時期が来るのかと思うと寂しくなります。  でも、私たちは、それで終わらないとみ言葉は語ります。キリストにある者は、衰える外とは違う日々新たにされる内なる人がいるのです。自分のいのちは減っていくように思いますが、今度は逆にキリストのいのちが自分を満たしていくのです。自分の力で行えるものが減っていくからこそ、キリストにすがる部分が広がっていくのです。老いは必ずやってきます。でも、その老いていく中で、キリストに満たされていくことが私たちには出来るのです。だからもう私たちは落胆しなくていいのです。いや、落胆する暇はありません。キリストによって、与えられる新しいいのちで自分が満たされつくし、すべてがキリストになり、完成されるその時まで前進していきましょう。