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コラム 牧師の書斎から

2022年5月15日 澤村信蔵

これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。(ヘブル11章13節)

 先日、米沢に行く機会があり、北山原殉教遺跡を訪ねてきました。慶長の禁教令(1612年)以降も米沢藩は、城主の上杉景勝が非常に寛容な政策をとったために、多くのキリスタンが存在していました。甘粕右衛門(ルイス甘粕)は非常に身分の高い侍でしたが、彼やその家族、友人が、領民に伝えるキリスト教の話は「殿談義」とよばれ、多くの者を信仰に導きました。でも、景勝の子定勝の時代になると、「キリスタンを捕らえ、処刑せよ」との命令にあらがうことは出来ませんでした。ルイス甘粕は、棄教をすれば命は助けると言われましたが、棄教を選ばず、一族郎党53名が処刑されました。この米沢藩の処刑が他の処刑と違うのは、彼らに非常な敬意が払われたということです。自分のいのちも顧みず彼らの助命を求めた重臣もいました。処刑に先立ち、彼らは、すべての家財を、貧しい人たちへの施しとして贈り、「天国で主と会う日なのだから」と、ただ一着残した一番清く美しい着物で処刑に臨みました。そして堂々と聖母マリアの旗を立てて歩くことまで許されたのです。生前彼らがキリスタンとしてという以上に、人としていかによい証しを立てていたかが分かります。この日本には、このように多くの素晴らしい信仰の先輩たちがいます。私たちも信仰の人として最後まで歩む者とさせていただきましょう。