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コラム 牧師の書斎から

2022年7月10日 澤村信蔵

 「私たちが真実でなくても、キリストは常に真実である。ご自分を否むことができないからである。」(Ⅱテモテ2章13節)

神の愛、神の恵みは決して変わることはありません。私たちが救われたのはこの神の恵みによります。救いは神からの賜物です。決して私たちが努力して獲得したものではありませんね。神様が私たちを愛して、ご自分の御子を遣わし、十字架で私たちの罪の身代わりとなり、死んで、よみがえられました。この方を信じる者はだれでも救われるのです。これが福音であり、私たちは信仰によってこの恵みを受け取ったのです。でも、実は、信仰さえも神からの賜物です。私たちが自分で信じたと思っていても、自分の力ではないのです。信じることが出来たのも神様の業なのです。まさに救いは、最初から最後まで神様の御業です。だからこそ、恵みなのです。では、一度救われたらずっと救われているのでしょうか。そうです。少なくとも神様があなたを見捨てことはありません。私たちの真実さには、全くよらないのです。どうあろうともキリストはいつも真実なのです。でも、実際には信仰から離れて行ってしまうという現実がありますね。神様は見捨てることはしないのですが、私たちの方で自分から離れてしまうことがあるのです。それでも、神はいつも待っていてくださり、私たちが神のもとへ戻るのに遅すぎることはないのです。私たちはここに希望を置くのです。だからこそ、一度離れてしまったように見える人のためにも祈り続けるのです。私たちが期待を置くのは、その人ではなく、真実な神だからです。