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コラム 牧師の書斎から

2022年8月14日 澤村信蔵

 あなたがたには、明日のことは分かりません。あなたがたのいのちとは、どのようなものでしょうか。あなたがたは、しばらくの間現れて、それで消えてしまう霧です。あなたがたはむしろ、「主のみこころであれば、私たちは生きて、このこと、あるいは、あのことをしよう」と言うべきです。(ヤコブの手紙4章14~15節)

 私たちが何か計画をたてる時、決して見逃してはならないことは、「主のみこころならば」ということです。私たちは、様々な計画を立てます。計画を立てること自体は決して傲慢なことではありません。むしろ、私たちは計画をしっかりと立てないと、前には進んでいけません。ただ、計画がその通りに進まないと非常にストレスを感じます。なんで計画がうまくいかないんだろうと。ただ、自分が決めていたことがその通りになると思い込むのは結構傲慢なことです。明日起こる全てのことに関して主権を握っているのは自分であると思い込んでいることだからです。私たちが皆知っているように、誰一人としてそのような主権を持っている者はいません。私たちには、あすのことはわからないのです。だから、主のみこころならば生きていて、あのことをし、このことをしようというのが正しい生き方なのです。「主のみこころなら」ということは、「すべてのことに主を認める」ということです。すべてのことが、自分のだけの力では出来ないことを認めるのです。だからこそ、今日も主のゆるしの中で自分のなすべきことをできたということは、本当に幸いなことなのです。主がゆるしてくださった働きを今日も精一杯させていただきましょう。