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コラム 牧師の書斎から

2022年9月22日 澤村信蔵

 「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。」(ヨハネ14章1~3節)

 先日エリサベツ女王の国葬が行われました。非また、今週末には、安倍首相の国葬儀が行われます。まだ安倍首相の葬儀は行われていませんが、この二つの葬儀は大きく異なります。国民がどれだけの意識をもってそこに挑もうとしているかなどの違いも大きく違いますし、また、長年君主であった人と、長かったとはいえひと時の宰相との違いもあるでしょう。でも、最も大きな違いは、その死の先です。たましいの行先が決まっているかどうかです。安倍首相のたましいがどこにいくのか、私は断言することが出来ません。彼の行いに応じて主が裁かれるのです。神のさばき次第ですね。その時にならなければ、行く先はわかりません。でも、主イエスを信じた女王のたましいの行先は決まっているのです。それは神のもとです。式の中で読まれた聖書個所は、あらかじめ女王自身が選んでいたそうですが、自分のたましいがどこに行くのか彼女は知っていました。彼女自身は、主イエスを信じて、私は主イエスのもとへ行くと言う信仰告白でもあったのです。自分のたましいの行先が決まっている者は幸いですね。主イエスを信じる者は、神のもとへ行くことが出来るのです。