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コラム 牧師の書斎から

2022年12月4日 澤村信蔵

イエスはそばに近寄り、手を取って起こされた。すると熱がひいた。彼女は人々をもてなした。(マルコ1章31節)

 マルコ1章には、イエス様が、カペナウムに来たペテロの姑が熱を出したという出来事を記しています。今であれば、解熱鎮痛剤を飲むということになるのでしょうが、高熱でうなされるのはきついですね。大人になってから高熱を出すと大変です。私の知り合いの牧師は、コロナに感染して一か月ほど40度近い熱が続きました。意識も朦朧として、治った後もその時の記憶がないと言っていました。実際にペテロの姑がどのような病であったかは聖書は記していません。ただ高熱が出たのです。その時、人々はイエス様にこのことを知らせます。悪霊を追い出す力あるお方として、人々はイエス様の評判を聞いていたからです。それを聞いて主イエスは、姑の手を取って起こされました。癒しの業自体は、けっして派手なものではありません。汚れた霊を追い出すとか、これから先、主イエスがなさる多くの奇跡の癒しに比べたら、「熱がひいた」というだけですから、地味な話ですね。注目したいのは、その後姑がどうしたからです。彼女は癒され後、すぐに人々をもてなしたのです。姑は癒され、体が癒されただけではなく、心もすっかりと元気になり、もてなす力が湧いて来たということでしょう。神の癒しの力は単に病を癒すというのではなく、その人が神に従って働くことができる力を与えられるのです。主イエスの力が及ぶとき、その力を素直に受け入れる者は主イエスの御跡を歩む者に変えられるのです。私たちも主に従うものとなっていきましょう。