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コラム 牧師の書斎から

2022年12月25日 澤村信蔵

「ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」(ルカ2章6~7節)

 今日は、クリスマス礼拝ですね。子どもたちの劇も行われます。劇の中でも出て来るのですが、イエス様は、ベツレヘムでお生まれになりました。イエス様が育ったのは、ナザレというイスラエルの北部の村です。だから、「ナザレのイエス」とか、「ナザレ人イエス」と呼ばれています。でも、その時、皇帝アウグストの勅令があって、すべての人が生まれ故郷で住民登録することになりました。身重のマリアを連れ、ヨセフは、自分の生まれ故郷ベツレヘムは向かったのです。同じように、住民登録をする人たちでごった返す中、イエス様は、飼い葉おけの中でお生まれになりました。み言葉は、「宿屋には彼らのいる場所がなかったから」だと伝えます。確かに、人であふれていたのでしょう。でも、本当にいる場所はないのでしょうか。実は、イエス様が泊まる場所は用意できたのです。もし、誰かが自分の居場所を明け渡せば。宿屋の主人が、また、宿に泊まっている人が一人でも、私のところに来てくださいと言えばあったのです。でも、誰もイエス様のために場所を用意する人がいなかったのです。それでも、イエス様は私たちのところに来て下ったのです。場所が無くても、誰も迎えなくても私たちのところに来てくださったのです。私たちは、自分の場所を明け渡して、このイエス様をお迎えしましょう。