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コラム 牧師の書斎から

2023年1月1日 澤村信蔵

さて、主にある囚人の私はあなたがたに勧めます。あなたがたは、召されたその召しにふさわしく歩みなさい。」(エペソ4章1節)

明けましておめでとうございます。旧年中も皆さんと信仰生活をともに送ることが出来て感謝しています。新しい年もよろしくお願いします。

 2023年成増教会は、「あなたがたは、召されたその召しにふさわしく歩みなさい」とのみ言葉を掲げて進んで行きます。私たちがどういう者として召されているのかそのことをまず一年の最初に確認していきましょう。
私たちを召した神様は、「私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。」(エペソ1章5節)私たちを一方的に愛してくださったのです。神様の愛は、ありえない愛です。私たちが神様のすばらしさを知り、愛するというのは、分かります。誰であれ、神様の魅力を知れば、この神様に虜になるのは必然だと確信するくらいまことの神は素晴らしいお方です。でも、実際には、先に愛したのは私たちじゃないんです。それこそ私たちの価値を見いだし、魅力を感じて愛してくださったのは、神様の方なのです。私たちが罪人であり、敵であり、不従順である時に一方的に愛してくださる愛ですし、自分の最愛のひとり子を十字架につけるほどに愛する愛です。こんな途方もない愛で愛されているからこそ、召されたのです。
そう思うと、私たちの日常は変わってきます。神に途方もなく愛されている者にふさわしく、この年も日々イエス様とともに歩んでいきましょう。

 昨日、聖書を学ぶ会でヤコブの手紙を読みました。ヤコブの手紙は、イエス様の兄弟であり、エルサレム教会の指導者であったヤコブが書いたものです。実は、このヤコブの手紙は、マルチン・ルターが「わらの書」と酷評した手紙です。ルターの目が開かれたのは、信仰のみで救われるとの真理です。だから、信仰だけでなく行いが強調されているヤコブの手紙は全く評価しなかったのです。でも、この評価は少し間違っていたようですね。聖書(神のことば)の中でわらの書と呼ばれるような価値のないものはないからです。しかも、ヤコブは決して救われるために、行いが必要だとは言っていません。むしろ、私たちの信仰は、もっと有機的なものだと言っているのです。つまり、頭だけで信じていますというような信仰にとどまるはずがないと言っているのです。イエス様を信じて受け入れたなら、その人のうちに永遠のいのちが宿ります。そして、いのちあるものは、当然行いにおいても、活き活きとして、他者を活かす行いになります。神のみことばをいくら頭で知っているも私たちの人生には何の変化ももたらしません。でも、私たちが神のことばを一つでも行っていくなら、神のことばを体験し、私たちがより良い者へ変えられていくのです。今日のみことばを聞くだけでなく、行う人となっていきましょう。